精神世界を持つ

おはようございます!BAISOKUの吉沢です。

みなさんは「精神世界」を持っていますか?

こういうと、なんだかスピリチャルとか、不思議系とか、そのように
とられるかたもいると思いますが、
私がここで言う、精神世界とは、「肚」の中というか、
自分の中の宇宙というか、その中に自己をおく。

日常の作業に追われて見失いがちな、自分の人生の本質をあらためて考えたり、
深く深く思考して、自分と対話をしたり、
そういう世界のことを指しています。

社員との対話:

吉沢 : 「精神生活はありますか?」

全員 : 「・・・」

吉沢 : 「精神生活が分からないんだな~」
「じゃあYさんにとって精神て何?」

Yさん : 「意志です」

吉沢 : 「K君にとっての精神は?」

K君 : 「自分が自分だという意識です」

吉沢 : 「Aさんにとっては?」

Aさん : 「己、個性、我とかだと思います」

吉沢 : 「Kさんは?」

Kさん : 「おもいと感情だと思います」

吉沢 : 「じゃあYさんにとっての精神生活は意志生活?」
「K君は意識生活?」
「Kさんはおもい生活?」
「それって何?」

全員 : 「・・・」

吉沢 : 「つまり精神生活がないってことなんだよね」
「精神生活を持たないとダメなんだよ!」
「世の中のすごい人はみんな精神生活を持ってる!」
「毎日自分と対峙する時間を持って、自問自答する」
「本当の自分を知ることが精神生活」
「そして心に栄養を与えないとダメなんだよ」
「そうしないと内なる自分を発揮できない!!」

内なる自分を発揮しなければいつまでも今のまま変わらない。

表の自分だけでなんとかしようとするから、根性論になって時間ばかり使ってしまう。
結果、いつまでも効率も上がらないし、いい仕事ができない。

内なる自分を発揮するためには、精神生活により、自分と対話し
内なる自分を知り、自分の主にならなければならない。

◆今日の一言

「学問修養する真の理由」

窮して困(くる)しまず、憂えて意(こころ)衰えず、
禍福終始を知って惑わざるがためなり。

迷いや心配事、窮することは避けられない。
しかし学問修養を積めばどうすればどうなるかということがわかってきて
精神的にまいってしまうことはない。
こうなってこそ真の主体性が立つ。
惑うことがないので自由である。

『荀子』