勝算あり!(その1)

以前のブログで、どうして起業に至ったか、についてお話しました。

会社を退職するにあたり、自分の技術を高く売って、
個人事業主としてやっていく、という方法もなかったわけではありません。
二十歳位から一心に、物心両面の成功をめざして、
システム開発にとことんこだわって、「極めたい」と思って実践し、
打ち込んできましたから、個人の高い技術で高い収入を得ることはできたと思います。

ですが、「個」でできることはたかがしれていますし、
以前のブログでも書いたように、人を育てて、がんばった分、成果を
皆で分かち合うような組織をつくりたいという想いで会社組織にしました。

「WebもJavaもやったことなかったのに勇気がありますね」
とよく言われますが、はっきり言って勝算ありました。

それまでの経験から、うまくいかなかったことの「逆」をやればうまくいく、と
思ったからです。

例えば、その頃は(今でもそうかもしれませんが)、
プロジェクト毎に開発言語や開発環境が変わることが普通でした。

1つのプロジェクトが完了し、別プロジェクトにとりかかると、
言語やツール、環境等が毎回毎回違うために、
またゼロから言語を学んだり、環境をつくりなおしたり、ということで
無駄が多いと感じていました。

一つのプロジェクトでどんなに技術を高めても、

一度苦労したことが次にいかせず、
劇的に生産性をあげることができなかったのです。

生産性があがらないので、大量残業をして、納品にこぎつけるのですが、
少しは残業代が稼げたとしても疲労困憊してしまって、次のプロジェクトの
スタートに差し支える、といった具合です。

当社では、開発言語は「Java」一本。業態は「Webアプリケーション開発」専門、と決めました。
同時に、大手企業の下請けや同業の仕事ではなく、

直接エンドユーザさんの仕事を受託開発で行う、

ということも決めました(もともと下請けはしないポリシーでした)。

このことで、教育コストも少なくてすみ、ツールや環境にかかるコストも
最小限におさえることができました。

当時、Java専門の会社というのは非常にめずらしかったらしく、
営業らしい営業をしたわけでもないのに、ホームページからたくさんお引き合いを
いただける、という効果もありました。

当時「JavaServlet」というキーワードで検索すると、Yahoo!で一番上位に表示されていました。
もちろん、当時はSEO対策なんてやっていませんでしたし、

そのころはまだGoogleもありませんでした。

言語を1つに絞っただけで「勝算あり」だったわけではありません。
それまでの問題点を克服して、利益をだせる「土俵」をつくるために
秘策がありました。

~次回へつづく~

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