忙中有閑(ぼうちゅうかんあり)!

おはようございます!BAISOKUの吉沢です。

六中感シリーズ第三弾は
「忙中有閑(ぼうちゅうかんあり)」です。

忙中に掴んだものこそ本物の閑である、ということでしょう。

現代の人はやたらと皆忙しいですね。
でもその忙しさの質はどうでしょう?

忙しそうにしている、といってもいいかもしれません。
スマートホンや携帯電話などで、余計な時間をつかっているから、
忙しいと言いつつ、時間を浪費しているようにも感じます。

さて、いつものように安岡正篤先生の言葉を紹介します。


「忙中有閑」

ただの閑は退屈して精神が散じてしまう
。忙中に掴んだ閑こそ本当の閑でありまして、
激しい空襲の中でも十分、二十分の短い閑に悠々と一座禅、
一提唱ができましたが、こういうのが忙中の閑であります。
人間は、何もすることがなくなってからは、
閑は死んだ閑で、無意味である。
繁忙の中から取って来た時間(閑)でなければ、
本当の生きた時間(閑)ではない。

とおっしゃっています。

本当にいそがしくて、仕事をバリバリやって成果を上げている人は、
「いそがしい」とは言わないものです。言ってるヒマもないですしね。

私も「お忙しそうですね」と言われることが多いですが、
そう言われると、「俺もまだまだ修行が足らんな」と反省します。

超忙しくても、泰然自若の境地境涯でいられるように、
余裕で仕事をしているように、周りからも見られるような人間でありたいものです。

「忙中有閑」から少し外れますが、
私はこれまでずっと、仕事を頼むのは「忙しい人」に頼んできました。
暇そうにしている人に仕事を頼んだことはありません。

忙しい人ほど、仕事をたくさん抱えているひとほど、
仕事が早く丁寧で正確だからです。
不思議ですがほぼ100%間違いないです。

吉沢和雄、仕事をたくさん抱えてはいますが、
まだまだみなさんのお役に立てますので
どんどん仕事を頼んでください!

腕によりをかけてお待ちしています!!

忙中閑あり!
人生密度濃くいきましょう!

◆今日の一言

忙中有閑

ただの閑は退屈でしかない。真の閑は忙中である。
ただの忙は価値がない。文字通り心を亡うばかりである。
忙中閑あって始めて生きる。

新憂樂志 安岡正篤