我が心の師 安岡正篤先生

安岡正篤(まさひろ)先生の本を読んだことはありますか?
先日のブログ
「人を動かす、道は開ける」
でも触れましたが、若い時から私淑しています。

安岡先生の日本語は、格調高く、奥深く、味わい深いです。

昨今のハウツー本のように易しく読みやすい本を読み慣れた人には、
最初は超難しく感じられるかもしれません。
ちょうど、ハンバーグばかり食べている子供が、歯ごたえのある食べ物を
食べたときのように。
鰹節をそのままかじるくらい堅く感じられるかもしれません。

漢字や、片言隻句、歴史上の人物・出来事の引用も多いので、
さっぱり意味がわからない、という人もいるでしょう。
が、それでもめげずに、辞書をひきひき喰らいついてゆくと、
じわじわと滋味が感じられてきます。

古今東西、という言葉がありますが、
日本の神話、片言隻句、中国古典はいうにおよばず、
西洋の哲学にも造詣が深く、時事ネタにもスパッと明快な言をもっておられる。
かといってガリガリの頭でっかちの学者かといえば全くそうではなくて、
ユーモアもあり、クスリと笑わせてくれるところもあります。

私は安岡先生の本は、すべて持っていて読みました。100冊くらいはあると思います。

読むたびに本から学びます。安岡先生の生きざまがそこに現されていることを感じ、
どれだけ自分が肉迫できるか、と気迫気概をもって読みます。

中でも、座右の書としているのは「活眼活学」で、
社内でも勉強会の教科書として使っています。
安岡教学の神髄が感じられる本です。
ぜひ読んでみてください。

今日の一言に、安岡先生の著書より一部引用しました。
どうぞ安岡ワールドを味わってください。

◆今日の一言

「古教照心・心照古教」

本の読み方にも二通りあって、一つは同じ読むと言っても、
そうかそうかと本から始終受ける読み方です。これは読むのではなくて、
読まれるのです。

書物が主体で、自分が受け身になっている。
こっちが書物から受けるのである。受け取るのである。
つまり吸収するのです。

自分が客で、書物が主。英語で言えば「passive」です。
もっと上品に古典的に言うと「古教照心」の部類に属する。
しかしこれだけではまだ受け身で、積極的意味に於て自分というものの力がない。

そういう疑問に逢着して、自分で考え、自分が主になって、
今まで読んだものを再び読んでみる。今度は自分の方が本を読むのです。
虎関(こかん)禅師は、「古教照心、心照古教」と言っておるが、
誠に教えられ考えさせられる、深い力のある言葉です。

自分が主体となって、自分の心が書物の方を照らしてゆく。
本というものは読まれたのでは仕様がないし、読まされたのでは大した力にはならぬ。

どうしても自分が読まなければならぬ。

安岡正篤

スピードアップコンサルティングのBAISOKU
代表取締役 吉沢 和雄