おはようございます!BAISOKUの吉沢です。
いきなり刺激的なタイトルで失礼しました。
六中観のすすめ、 でもご紹介しましたが、
この六中観、実に我々が現代を生きる上で、
実に示唆に富んだ言葉だと感じますので、
各々について採り上げてみたいと思います。
今回は冒頭に出てきた「死中活有り」について。
「死中有活」とは、
「本当に行き詰らなければ、道は開けない、死んだ気になって
頑張れば開けない道はなく、活路が開かれること。」
敬愛する安岡正篤先生によると
—
窮すれば通ずということがある。
死地に入って意外に活路が開けるものである。
うろたえるからいけない。
それのみならず、そもそも永生は死すればこそである。
全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すこと、
すなわち永生が実現するのである。
のらくらとわけのわからぬ五十年七十年を送って何の生ぞや。
(新憂樂志)
—
とおっしゃっています。
確かに、やりがい、とか、達成感、とか、幸福感、と
というものは、のほほん、としていたのでは得られる境地ではありません。
艱難辛苦を乗り越えて、努力の末に、あるいは、逆境を乗り越えて得た成果に、
人としての喜びがあり、また成長があると考えます。
ですから、絶体絶命!のピンチに立ったら、
泰然自若としてその状態を受け入れ、
大胆に、かつ、繊細に、持てる能力と脳力をフル回転させて
「ピンチは千載一遇の好機、天はこれを吾に与えり!」と
思えるかどうか。
死中に活路を見いだせるかどうか。
「死中(=アウト!)」と思ったときには、「活(=災い転じて福となす)」あり!
チャンス!の気持ちで挑んでいきましょう!
◆今日の一言
あきらめるな、貫け!
吉沢和雄